社会の底辺に潜む異常人格者が木村花さんの訃報を聞いて想ふ。
むかし耳にした事件。
昔聞いた話です。
私の地元に大きな公園があります。ある週末、その公園で夜通し遊んでいたヤンチャな若者たちがいました。
そこに、早朝ジョギングをしていた新婚夫婦が通りがかりました。若者たちは仲睦まじい新婚夫婦を見て、「奥さんをレ〇プしよう。」と考えました。
ご主人をボコボコの上で羽交い絞めにし、その眼前で「レイ〇」を実行に移したのだそうです。
その後、奥さんは病院に運ばれましたが、入院して間もなく自殺をしたと聞きました。
メディアなどの報道で見た訳ではなく、公園の近所に住む知人から聞いた話なので真偽は確認していませんが、この話を聞いた私は心が震えました。
「これは自殺ではなく殺人だ。殺人罪として認められる社会にならなければいけない。」
そう強く思いました。また、自分の中で、それを正当化するために考えるようになりました。
そうして現在の私は、「人間を殺す方法は二つある。一つは心臓を止める方法。もう一つは自尊心に大きなダメージを与える方法。」そう考えるようになりました。
故意に他者の自尊心を打ち砕いた結果が自殺に繋がった場合、それは殺人であると考えるようになったのです。
社会の底辺に住む私の穿った観念。
これから記すことは、社会の最底辺に潜む異常人格者である私の観念ですので閲覧注意です。(底辺人の戯言なので真に受ける必要もないのですが。)
人間は体の栄養は主に食事から摂取します。心の栄養は主に自尊心を満たすことで得ます。
人は自尊心を満たすため、他人を蔑みます。嘲笑します。
社会的弱者を見かけると心中で軽蔑します。違いを持つ人を差別します。弱い人をイジメ、攻撃します。立場を得てハラスメントを正当化します。他者より高い立場に就きたい、無理でも一番下にはなりたくない。
これらは全て、心の栄養、自尊心を満たすための本能だと考えます。
言い訳をする、自己正当化をする、これらも自尊心を守るための防衛本能だと考えています。
うっかり言い訳が口をついてしまう。決して悪い事だとは思いません。言い訳くらいさせてあげればいい。自尊心を守ってあげればいい。そのうえで、必要なことは伝えればいいと思うのです。
本能だからイジメていい?差別していい?
違うでしょう。猿じゃないんだから。
人間は高い知性を有しています。知性の高さと理性の高さは比例します。本能を抑制するのは理性です。
アメーバに理性を求めるのは酷です。幼子がおもちゃ屋さんの前でぐずっていたとしても、知性が未発達ゆえに、理性で欲望を抑えられないのはやむを得ないことです。
イジメも差別も、成人なら高い知性にふさわしい理性で抑えることができるはずなんです。
本能の赴くままに行動する。それって知性が低く、理性による抑制が効かないってことで恥じるべきなんですけどね。
金持ち喧嘩せず。
昔から金持ちは喧嘩しないって言います。
金持ち、社会的立場が高い人は、自尊心が満たされてお腹いっぱいの人が多いのでしょう。他者の自尊心を貪り喰らう必要が無いんだと思います。
例えば、街中で肩がぶつかったとしても一歩譲れるのでしょう。
このような場合、自尊心が貧しく飢えた人にとっては他人の自尊心を貪り食うチャンスなのかもしれません。
殴るもよし、論破するのもよし、とにかく他者を貶め踏みにじることで己の心を満たそうとするでしょう。
しかしながら、誰しもがやられるままに自尊心を破壊されるわけではありません。
だから、ついうっかり本能で、言い訳が喉の奥から出てきそうになるんです。
それを理性で抑えられる人は立派? そんな価値観は捨てた方が良いと思います。
言い訳する人の方が自殺に追い込まれる可能性は低くなると思いますので。
もちろん、学者でもなんでもない低学歴、低能、底辺の私如きの宣う事に根拠などありはしませんが。
異常人格者の私がネットを観ながらずっと思い続けてきたこと。
こんな私ですから、ネットでみなさんの思考、価値観に触れながら感じ続けてきたことがあります。
「現代日本人は自尊心が満たされず心が貧しい。」
これを読んだ人は100%こう思うでしょうね。「上から目線。どんだけ~。」
いやいや。(笑) 逆です。下から目線なんです。
私はバツイチです。彼女も長年いませんが、とっくの昔に完全に諦めました。
底辺住男の名に恥じないレベルの低額所得者です。社会的地位もその名の通りです。
他者からは見下されて当然だと理解しています。蔑まれている実感もあります。
なんですけどね。幸福感は今が一番です。
他者に競り勝つ気がありません。気楽なもんです。
誰かがマウントを取ってきて私の自尊心を貪ろうとしても気にならないです。
「家での立場が低いんだろうか。自尊心が傷ついててかわいそう。」くらいに思ってます。
そのうえで、他人を蔑み、貶めることで自己の自尊心を満たすなんて考えません。
人間は本来、競い合ってこそ価値を生み出せると思います。
そこから距離を置いた私の生き方は、ハッキリ言って負け犬人生ですので、若者には決してマネをしてもらいたくないですけど、死を選ぶくらいならこんな人生もアリだと思います。
実際、私には死ぬことばかり考えていた時期がありましたから。
自分に能力が無く、人間としての魅力もなく、他人と競い合うだけ無駄。望みを抱くのは無駄。あらゆることを諦めた現在はとても幸福に感じます。
もちろん、負け犬の逃避であることも理解しています。
それでも、他者を追い詰め、自殺に追い込みながら、「あいつが勝手に自殺したんだ。」と責任から逃れる卑怯な殺人鬼よりはマシでしょう。
日本社会では、会社のために仕事として、社員の自尊心を粉々に打ち砕き、自殺に追いやることが常態化してきたと考えています。
そんなわけないです。だったらそこら辺の飲食店などの自営業者は自殺しまくってるハズです。
自殺の原因は、長時間労働をしたからではなく、「させられた」からです。
立場が上の人間に精神的にマウントをとられ、労働をさせられ、言い訳も許されず、自尊心をノーガードにされたうえで叱責を受け、自尊心が破壊され、自己否定に繋がり、鬱状態となり、正常な判断能力を失い、自殺に至った。そんな感じなのではないでしょうか。
「自殺なんて馬鹿なことを……。」よく聞くセリフですが、馬鹿はあなたの方ですよ。
馬鹿もなにも、自殺を実行しようとする時点で正常な判断能力を失っています。
昨日まで正常だったとしても、精神的疾患の症状が出てのことでしょう。
そういう症状が現れるに至った過程が問題です。
人類は未開だ。
人類は、日本社会は、未だに未開です。
ですが、ゆっくりと進歩を続けています。
少し前までは日常の範疇だったパワハラなどのハラスメントが問題視されるようになったのも、未開であることと進歩していることの証しでしょう。
未開な人類は、刃物で身体を傷つけることは傷害の罪に問いますが、精神を傷つけることには未だ明確な対応が出来ていません。
そう遠くない将来に、他者に対する精神攻撃が罪であるという価値観が共有される時が来ることを期待したいです。
また、現代日本における自殺の多くが他殺であるという認識も拡がって欲しいです。
昔は経済的に困窮しての自殺などもあったかもしれません。
しかし、現在の自殺のほとんどは誰かに精神を傷つけられてのものだと思うのです。
激しいイジメの末に、未来ある子供が自殺するという悲しいニュースも耳にします。
ですが、自殺という言葉の響きには違和感を感じざるを得ません。
イジメ行為によって子供の自尊心を破壊し、精神の均衡を失わせ、死という選択に追い込んだのはイジメの加害者であり、決して自ら望んだわけではないと思うのです。
近年の自殺の多くは、れっきとした殺人であると考えます。
木村花さんの訃報に接して……。
私はブログを書いたりするくらいですから、ネットを利用しますし、ネットが好きです。
しかしながら、ネットを利用する人々については……どうでしょう……。
木村花さんの訃報はヤフーニュースで知りました。
ヤフーニュースのコメント欄。大嫌いです。見ていると気分が悪くなりますから。
人間の剥き出しの悪意ほど醜悪なものはないと思いますから。
他者に厳しく、攻撃的で、排他的で……。
私は当ブログにおいて、また、ネット上のどこかでの書き込みにおいて、社会的に袋叩きにされている人を擁護するかのような内容を記すことがあります。
必ずと言っていいほど、「なぜ庇うのか。~の回し者か。」という風に受け取られ、その刃はこちらに向かってきます。
回し者でもなければ、庇っているつもりもありません。
他者を貶めて自尊心を満たす言動が嫌いなんです。大きいものを否定すると自分が偉くなったかのように錯覚しているような言動も嫌いなんです。
著名人に判決が下る際、「被告は既に社会的制裁を受けており~」と裁判官に言わせてしまう社会は嫌いなんです。
ちなみに私、そうした言動をとって、他者を貶め、自己の自尊心を肥大化させようとする人たちのことを、心中では「自尊心乞食」と呼んで軽蔑してきました。
イメージ的には、他者の胸倉に拳を突っ込み、自尊心を掌で潰してもぎ取り、それを喰らって腹を満たす。やられた側は自分より弱いものから食われた分を喰らい返す。
昔の人は、それを円滑にするために儒教などの社会システムを考えたんだなんて異常人格者は勝手に思ってきました。
というわけで、なんだかんだ言いながらも、私自身も他者を「自尊心乞食」などと呼び、軽蔑して自尊心を満たしてきました。
悲しいかな、私ごとき底辺もやっぱり人間のようで、浅ましくも心の栄養摂取なしでは生きてはいけないようです。
最後になりましたが、木村花さんの訃報に接することとなり非常に残念です。
あってはいけない、起こってはいけないと常々思っていたことが現実に起こってしまいました。
亡くなった命は帰ってはきませんが、同様の事件を防ぐことは不可能ではないでしょう。
そのためにも、個人に対する誹謗中傷への捉え方が変わることを期待します。
木村花さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。