安倍晋三元首相が銃殺された件に想ふ。
安倍晋三元首相が亡くなられた
恥ずかしい。情けない。
日本ってこんな国だったか。
参院選真っ只中の金曜日の昼前、奈良に応援演説に駆けつけた安倍晋三元首相が銃殺された。
前もって言っておくと、私は自民党の積極的支持者ではないです。
他に支持すべき政党が無いからまだマシってことで消極的に支持してました。
とはいえ、このところは維新に票を入れることが多かったですが。
それでも、安倍元首相の在任中は、日本では稀な長期政権で安定した政治が執り行われる事を期待していました。
当時からメディアの安倍首相に対する報道姿勢には大いに疑問を抱いていました。
森友、加計問題のことでも、アベノミクスでもマスクのことでもありません。
偏向も度を過ぎ、感情的になったのか、「独裁者」「軍事独裁者」というとんでもワードを度々耳に、目にすることがありました。
関西にてTVを見ているうえでは、橋下徹氏も同様に「独裁者」だとメディアの声が多々聞こえてきました。
このことについては、過去にも当ブログで触れた記憶があります。
独裁者とはなにか
個人的には独裁者というのは、何らかの大きな力を背景にして、誰も逆らえない状況下で独断的に権力を振るう人物のことだと考えます。
この大きな力というのは大抵の場合、軍事力を指します。
一国の指導者の肩書が、首相や大統領ではなく、「大佐」であったりということも実際にありました。
軍を掌握することで政治的権力も欲しいままにする。典型的独裁者かと思います。
もちろん、生まれながらにして統制権を持っているような独裁者もいます。
彼ら軍権を掌握した権力者は、反対者、勢力を軍の暴力で抹殺してしまうので逆らえない。
そのように反対者を封じたうえで独断的に権力を振るうもののことを独裁者というのだと思います。
とても幼稚なことを長々と書いていますが、現代日本ではマスメディアに勤めるようなエリート層でさえも解られていないようなので。
安倍氏や橋下氏のように、週刊誌の記事ひとつで立場が揺らぐような人たちのどこが独裁者なんでしょうか。
もしも日本の首相がプーチンなら、都合の悪い記者などは殺害され、廃刊に追い込まれ誰も異議を唱えられないことでしょう。
独裁者だと声高に言えていること自体が、批判記事を書けていること自体が、決して独裁などでは無い証であることはほとんどの日本人は理解しています。
メディアの無責任
マスコミの言うことを真に受ける、殆どではない日本人が今回の凶行に至ったのだとしたら問題です。
安倍元首相は最も在任期間の長い首相であったと同時に、最もメディアから嫌われた首相でもあったと思います。
政策やスキャンダルで責め立てるのはまだ良いでしょう。
国家を我が物にする国泥棒、国民の主権を奪う「独裁者」と明白な嘘を流布するのは著しく公正性に欠け、それこそ国家国民に大きな損害をもたらす行為ではないでしょうか。
かのオバマ氏がかつて大統領任期中に訪日を拒んだそうですね。
理由が「軍事独裁者の安倍に会いたくない」だったそうで、それを知った当時のケネディ駐日大使が「安倍氏はそのような人物ではない」と説得をし、なんとか訪日に漕ぎつけたと聞きました。
それが事実なら、世界で最も精度の高い情報に触れるであろうアメリカ大統領ですら洗脳してしまっているわけです。
一般日本人、奈良に潜む不満屋の洗脳なんて訳ないことでしょう。
私の大嫌いな立花孝志氏が言っていました。TV局は洗脳機関だと。
使い方次第ではまさにそうなのでしょう。
本物の独裁者、ヒトラーはラジオというメディアを最大限に利用したことは有名です。
だからこそ、例え完全な実現は不可能であっても、公正中立を心掛けなければならない。
それを無理だと完全に放棄してしまうような輩は報道に携わってはいけないと思うのです。
今回の事件。
安倍氏を「独裁者」と報じるような異常な偏向報道が影響をしている気がしてならない。
メディアが安倍氏を「悪」として多くの国民を洗脳した結果に思えてならない。
犯人は恨みの有る?宗教団体と安倍氏に関係があると思い込み、殺害に至ったと供述しているらしいが、報道の影響が深層心理に及んでいた可能性は非常に高いように感じます。
ペンは剣よりも強しと言います。
日本では剣による暴力よりも、ペンによる暴力の方が現実的なようです。
ペンによる暴力で封殺され、主権が奪われる時代が来ませんように。
安倍晋三首相の心からのご冥福をお祈りいたします。