海上自衛隊哨戒機が韓国駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けた問題に想ふ。
弾の入った拳銃で人に狙いを定めた。例え撃たなくとも罪は重い。
TVのニュースでも、新聞でも、もちろんネットでも、海上自衛隊のP1哨戒機が韓国軍の駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けた件でもちきりですね。
このような韓国の反日がらみのニュースって、ネットだけで終わっちゃって大手報道機関では無視か産経だけってのが通常運転のような気がしますが、今回はそうはいかないですね。
火器管制レーダーを照射する、戦闘機のミサイルをロックオンするなんてのは、弾の入った拳銃を人に向けるのと同様の行為です。
その行為の軍隊版ですね。
どれくらいやってはいけないことか、やられた場合どう対処すべきか平和ボケした日本人でも理解できるのでしょうか。できるからこそ、普段は韓国に優しい報道機関も問題視しているのでしょう。
ところで弾の入った拳銃を頭に向けられた場合どうすべきか。
いかなる方法を使ってでも逃れるべきです。
逃れるために相手を殺してしまったとしても過剰防衛にはならないでしょう。
相手が行っている行為が過剰な威嚇であり、過剰な攻撃的行為だからと考えます。
例え撃たなくとも、命を危険に晒す究極の脅しであり、暴力による現状変更行為といえます。
このような行為が行われた場合、例え発砲しなくとも罪は重いと考えます。
軍隊においても同様で、国際法上このような場合は反撃をして問題ないようです。
無知な私の想像でしかありませんが、米軍はじめ世界中の軍隊では、このようなケースでは無条件に反撃すべきなどと行動規範が定められているのではないでしょうか。
そして恐らくは、韓国軍でも同様なのではないでしょうか。
もしも、レーダー照射をしたのが自衛隊であり、立場が逆であったならば、韓国軍は反撃をしたうえで日本の行為を非難したのではないでしょうか。
しかし実際は日本の自衛隊が特殊であり、反撃はないであろうこともわかったうえでの確信犯的行為に思えます。
つまり、今回の件を誘発する責任の一端は無責任なまでに無力な自衛隊と、日本人の防衛意識にもあると考えます。
自衛隊が舐められ侮られていることが本件を誘発した一因であることは間違いありません。
ですが、一員であることは間違いなくとも、本質であるとは思えません。
本件の核を為す本質は、やはり韓国人の反日意識に他ならないと思います。
軍人である前に、公人である前に、韓国人であるということでしょう。
韓国軍人が日本と戦争をしたいかと問われればNOと答えるでしょう。
政治家も官僚も同様でしょう。
韓国は国家として日本と戦争するなどありえない。
韓国公人として日本との戦争を望むなどありえない。
ところがです。
軍人も政治家も官僚も、公人である前にいち韓国人です。
いち韓国人としての彼らには忸怩たる思いがあるのでしょう。
公の利益としてはNOでも、私の感情としてはYESなのだろうと思います。
韓国人ほど立場を気にする民族はいないのではないか。そう疑問を持ちます。
上か下か。勝者か敗者か。富める者か貧しい者か。
かつて日本に対して事実上の敗者となり、下の立場に立たされた。
いつの日か立場を逆転したいと望み、日本の第二次大戦敗北という千載一遇の機会を得た。
「日本は敗者であり、我々と立場が逆転した。」
そう思ったのだが、なかなか思うように歴史は動かない。
それがバブル崩壊以降、日本の景気は停滞し競争力も影響力も落ちた。
それに対し、韓国人目線から見れば、韓国は世界史上に稀なる奇跡の発展を遂げた。
「我々韓国人とその国家は、経済、社会で日本に追いつき追い越した。しかも日本は第二次大戦で負けた敗戦国であり、戦争責任を償わなければいけない悪の国家と国民である。」
韓国人は感情的には、日本を見下し、蔑み、そして憎んでいるのです。
軍人も、政治家も、官僚も、多くの公人たちは感情的には同様だろうと思うのです。
彼らは卑下すべき日本国と日本人を、踏みにじりたい、足蹴にしたい、絶滅させたい、そういう思いで一杯なのだろうと思います。
大統領や軍の司令官が、自己の感情で本件を指示したなどとは考えられません。
ですが、多くの公人を含む韓国人が日本を執拗に恨んでいる現状では、このようなことは今後も起こり続けるのでしょう。
本件の原因は韓国人の反日意識であり、駆逐艦乗員の公人としての利益の追求が、私人としての感情的欲求に負けてしまったために起こったことだと考えます。
軍人であろうと、政治家、官僚であろうと、多くの韓国人の民族感情としての本能的欲求は、「日本と戦争したい。日本人を這いつくばらせたい。日本人を皆殺しにしたい。」こういう人が多いだろうと思います。
そして、日本の道義的な悪を普遍的にすることで、この欲求が正当化されるのでしょう。
そのためにこそ、全世界に対する反日活動に全てを捧げることが出来るのでしょう。
元駐韓日本大使が本に書いたように…。
元駐韓大使が韓国人に生まれなくて良かったなどと本に書かれたそうですね。
私こそ、心底同じ思いを抱きます。
なぜか。私が社会の底辺を生きる人間だからです。
先に韓国人ほど立場を気にする民族はいないのではないかと書きました。
立場が下であれば、敗者であれば、貧しければ、踏みにじられ、自尊心を食いつくされる社会なのだろうと感じます。
もちろん、韓国に住んだことも行ったこともありませんので、推測でしかありませんが、韓国の政治、外交、社会のニュースを目にするとそう感じてしまいます。
私のような底辺人が韓国に生まれていたら、今頃はとっくに自尊心を食いつくされて自殺に追い詰められていたのかもしれません。
儒教はこのような状況を生み出さぬように工夫されていたと思うのですが。
現代において、かつて儒教の影響下にあった東アジアでの自殺率が高いように思えるのは気のせいでしょうか。
しかしまあなんですなあ…。いつの日か、日本の人口が半分に減り、国力も半分に落ちた時に、韓国は南北統一が成されて日本を大きく追い越したとします。
そのような日が来たとき。果たして韓国国民は「日本と戦争したい。日本人を皆殺しにしたい。堕ちぶれた死者に鞭打ちたい。」こんな欲求を抑えることができるのでしょうか。
東アジアに安定をもたらすためにも、バランサーとして、日本は落ちぶれてはいけないと思うのは私だけでしょうか。