今更過ぎる古い問題について想ふ。
何年か前に世間を賑わせたあの件について想ふ。
非常に書きにくいこと。思うことはあっても口を噤んでしまうことは多々あります。
個人的に思うことがあったが、黙ってるのが賢明だと思ったこと。
非常に微妙な問題ではありますが、議論をすること自体は決して悪いことではないと思うのです。
むしろ、アンタッチャブルな触れてはいけない事にしてしまう方が問題だと思うのです。
非常に書きにくく、今更過ぎる問題ではありますが、当時言いたくても言えなかったことを今だからこそ書いてみたいと思います。
人気芸人の家族が生活保護を受けていた問題。
数年前のことでしょうか。
某人気お笑い芸人の家族が生活保護を受けていると報道されたことがありました。
その芸人の推定年収は数千万円と見られ、「なぜ生活保護を受ける家族を援助しないんだ。不正受給なのではないか。」などの批判がされました。
そして、ネット上でも大炎上となり、某芸人の露出も減ったように思います。
当時、ネットで散々言われていたのが「この在日朝〇人が生活保護を不正受給しやがって。」というような論調でした。
今でも、この芸人の名前をネットで検索すると、名前の下に「在日」とか、特定の外国人であるかのように閲覧候補が表示されます。
これに対して違和感を持っていたのは私だけではないと思うのです。
なんの根拠もなく、推察でしかないのですが、そうではないと感じた人が日本中にいたと思うのです。
ですが、私も含めて口を噤んでしまいました。
何の根拠もない推察でしかない。ですが、それは在日云々というネット世論も同様でしょう。
あくまでも私の妄想に過ぎず、可能性があるという話なのですが、この一件は在日外国人のよる生活保護の不正受給問題などではなく、いにしえからの日本の抱える問題である「部落差別問題」だったのではないかということです。
もちろん根拠など「在日」呼ばわりと同様に何もありません。
もしもそうであったなら程度の話です。
もしもそうであったなら、日本国内の大きな差別問題を外国人問題に置き換えるという無責任極まりない世論であったのではないかと思うのです。
部落差別は間違いなくあった。
私は大阪府民です。
古墳に囲まれたS市で暮らしています。
S市民なら誰もが知っていることだと思いますが、かつては激しい部落差別が間違いなくありました。
就職先がなかなか決まらない。
大手スーパーマーケットに就職が決まり喜んでいたが、会社で出自がばれて嫌がらせを受けるようになり、会社にいられなくなった。
最近のことはよく知りません。
ですが、私が若いころは自分も就活する年代だったこともあり、友人や知り合いからこのような不条理な話はよく聞きました。
就職差別、就業差別は間違いなくありました。
2018年現在、一億総活躍社会だそうです。
老若男女問わず、働けるものは働ける環境を作るそうです。
しかし、ほんの何十年か前には就職したくてもさせてもらえない現実もあったんです。
例えばです。就職差別を受けて就職が出来なかった。差別を受けて精神的にも病んでしまい、引きこもりがちになってしまった。
そのような人がいたとして、生活保護を受けていたら不正受給なのかどうか。
もしも先述の芸人の家族がこのような問題に直面していたとしたら、それを「在日」「朝〇人」だと罵り問題を終わらせてしまうのは、無責任に臭い物に蓋をしてしまう行為なのではないかと思ったのです。
私が考える差別とは。
人間とは序列、立場が気になる社会的生物だと思うのです。
自分が序列の一番下になるのは耐えられない。
人を見下し、蔑み、攻撃することは己の自尊心を満たして心の栄養になる。
人に見下され、蔑まれ、攻撃されることは己の自尊心が砕かれて心の栄養失調になる。
後者になってしまうと心身に問題を発生させ、病気になったり自殺をしたりします。
よく「自殺するくらいなら何でもできるでしょ。死なずに生きれば何でもできる。」などと言われますが理解が足りないと思います。
多くの場合、自殺する段階で心は壊れています。正常な判断力など無い状態です。
人間はそうならないためにも、無為な序列争いをします。
昔の人は、それを無くすために、儒教では序列争いを無くす工夫をしたのではないか。
いにしえの日本社会では、卑しまれ犠牲となる層をあえて作ることで、それ以外の大多数の人たちが自尊心を豊かに生き生きと社会に貢献出来るようにしたのではないか。
正否は別として、私はそう感じるのです。
現代社会においては差別は自由競争性になった。
人間は身体の栄養素は食物から摂ります。
精神の栄養素は主に他人の自尊心から得るというのが私の穿った考え方です。
人間は心豊かに、自尊心を満たして生きるために、高い立場に立ちたいという本能的欲求があると思います。
そして、自尊心を護り健康的に生きるために、他者から自尊心を護る防衛本能があると思います。
つい口から出そうになる言い訳、自己の正当化などがそれにあたると思います。
昔は不条理にも罪なく選ばれた人たちが「賤民」とされてしまいましたが、現代においてはその座は自由競争性です。
勉強ができない人。仕事ができない人。風体が冴えない人。
あらゆる面で他者に打ち勝ち、見下されないようにしなければなりません。
負けてしまうと、馬鹿にされ、見下され、蔑まれ、攻撃されたりします。
昔はこの役目を賤民と呼ばれる人たちが負わされていたんですね。
差別は続く。が、不条理な差別は終わらせなければならない。
人間が人間である以上、他者を蔑み、心の安寧を得ます。
ですが、部落差別のような理不尽にも生まれながらにして背負わされるような差別は終わりにしないといけません。
部落差別を終わらせるためにも、差別のもととなる区別を無くせるものなら無くすべきです。
「部落出身だから納税をしていない。」
これらは区別を生みます。
部落出身だから生活保護をもらい、納税をしなくていいと区別されます。
この区別が差別の素となりえます。
部落問題とは別の新たな差別、特別待遇やっかみ差別が起こりえます。
これでは差別の連鎖が終わりません。
まずは、就職差別、結婚差別などあらゆる差別をなくし、公正な社会であることが前提条件になりますが、被差別部落利権をなくすべきだと思います。
目先の利益よりも子々孫々のためにこそ、捨て去るべきは捨てることが大事なのではないでしょうか。
歴史の教訓を忘れるなと言いますが、場合によっては忘れ去った方が良い歴史もあるように思います。
某芸人さんの過去の問題から随分それてしまいましたが、全ては私個人の穿った価値観の表明であること。
某芸人さんとは何ら関係のない、あくまでも可能性の問題について思いを表したつもりです。
最後に…もしも今後も理不尽な差別が続くのであれば、生活保護、もしくは慰謝料を税金で払うのは当然だと思います。
それは日本社会に生きる人間として受け入れがたいことだと思うので、各自が個人レベルでの差別も慎むべく気をつけることがそのような対策を不要にすると思います。
ネットの論調を見ると大変不安ですが…。