底辺ちゃんねる。

底辺住民の暮らしぶりと思考を晒します。

国家間の差別について想ふ。

人は他人の自尊心を傷つけずには生きていけないのか。


人間というのは、非常に心が弱い生き物です。自分の立場、立ち位置を気にします。自分が他人からどのように見られているかを気にします。自分が周りの人間と比べて劣っているなどと受け入れたくありません。そして、自分が劣等感を感じてしまうと、自尊心が傷つきます。映画やドラマの演出では、自尊心が傷ついた人は空き缶を蹴っ飛ばすのがお決まりです。何故空き缶を蹴るのかというと、自尊心が傷つくと人は攻撃的になるからです。何故攻撃的になるのかというと、他者を攻撃して自尊心を傷つけることで、自分の傷ついた自尊心を満たしたい欲求にかられるからです。自尊心を満たすことは、心の栄養補給であり、人間の本能であると私は考えています。

身体の栄養素は食事で摂りますが、お腹がいっぱいだと食事をしたいという本能の欲求も収まります。自尊心もお腹がいっぱいだと、自尊心を満たしたいという欲求が収まります。このような状態を、「金持ち喧嘩せず。」と昔から言うのです。粗暴に肩肘張って生きている人っていますよね。ちょっとしたことで「なんじゃワレ!」みたいな。彼らは彼らなりの自尊心を護る対応策を、無意識かもしれませんが行っているのだと思います。他者と接するときに、暴力的な振る舞いをすることによって、心の接触を避けているのだと思うのです。そうすることで、自尊心が傷つくことを回避していると思うのです。無意識にそういう振る舞いに至った経緯としては、多くの場合、幼い頃にいじめられる立場であったり、自尊心を傷つけられる経験をしてきたからだと考えます。自尊心を護ること、自尊心を満たすこと、この二つは人間がこの世を生きていくうえで、食事を摂るのと同じくらい重要なことだと思います。

ちなみに、現代において、特にネット社会において、非常に攻撃的な人、書き込みってよく見ますよね。あれは、自尊心が満たされない人の書き込みなんです。自尊心が満たされた人が、ネットに人を蔑すむようなことをわざわざ書き込むでしょうか。満たされない立場の人なんだなかわいそうだなくらいに思ってあげれば良いんです。書き込む側も、自分が社会的に満たされず、自尊心の傷ついた人間だとわざわざアピールしているようなものですので、気を付けた方がいいと思うんです。

自尊心を満たすために、他者を蔑み、嘲笑うのは人間の本能だと思います。

昔の為政者たちは、それをコントロールすることが出来れば、社会に有益だと考えたのだと思います。被差別階層を敢えてつくり、大多数の市民に差別をさせる。それによって自尊心を満たしてやり、不平不満を減らし、社会への為政者への不満も逸らす。そうすることによって、労働者の意欲も増し、労働生産性も上がるという部分もあったのでしょう。かつてはそうやって、何の罪もないにもかかわらず、差別をされる人たちがいました。すべては為政者の責任。私はそうは思いません。それを受け入れ、現代に至るまで実際に差別を行ってきたのは、大多数の市民なのですから。

国家間においても差別はある。


違いを区別し、蔑み、嘲笑い、貶めることが差別であろうと考えます。違いというのは、肌の色であったり、宗教であったり、個人の個性であったり。組織や団体、ましてや国家という大きな枠で差別されるという話は、あまり聞いたことがないような気がします。ですが、現在に於いて、現実的に国家差別はあります。世界には二百か国ほどの国があると聞きますが、最も激しく差別を受けている国は、私たちの日本国だと思います。

日本に対する差別というのは、言い換えれば「反日」となります。この反日には、大きく分ければ二つの面があるかと思います。一つは政治、外交の面です。今日は差別について語りたいので、これは置いておきます。もうひとつは、今まで書いてきたような情緒の面です。

反日の名のもとに日本人を蔑む。こうすることで、自尊心が満たされます。反日の名のもとに日本を批判する。こうすることで、自国の社会への不満、為政者への不満を逸らすことができます。かつて、日本国内で行われた卑劣な差別となんら変わらないように思えます。

「違う。おまえらは悪だったんだ。数々の悪の行いに対する反省がないからだ。」そんな声が聞こえてきそうです。かつて、ある国の大統領は言いました。「千年経っても変わらない。」と。ですが、千年後の日本人に責任があるとは到底思えません。そして、これは千年後の日本人も私も一緒なのではという疑問を持ちます。記憶にない、やった覚えがないことで反省しろと言われても出来るはずがない。私は思います。身に覚えがないことに対し、謝罪し反省できる者は偽善者であり、嘘つきであると。謝罪も、反省も、経験に基づきするものです。身に覚えがなく、記憶にないにもかかわらず、反省している、謝罪もするという人は、出来もしないことをしているフリだけだと思うのです。そして私は思います。同調することで、被差別側から差別する側に与しているだけの卑怯者なのではないかとの疑念を持ってしまいます。

日本国差別は簡単になくなりそうにありません。罪に対する罰の意識というものは、時間の経過とともに徐々に薄れていくものだと思うのですが、この件についてはどうやらそうではありません。「千年後も変わらない。」との大統領の発言は、そうはさせないという強い意志の表明でもあります。日本人は千年後も、蔑み貶められる対象でありつづけなければならないと。歴史を忘れた民族には未来はないそうです。ならば思い出しましょう。世界大戦の根本には、差別意識があったことを。他民族を蔑み、支配し、支配地域の拡大を競ったことを。もしも、他民族に対する差別意識がなければ、競って植民地を拡大するようなことにはならなかったかもしれない。ならば、強大化した文明同士が激突する第二次大戦も起こらなかったかもしれない。

それを忘れて現代においても、他民族、国家を蔑むのであれば、それが第三次世界大戦に繋がるということもあり得るのかもしれませんね。