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進撃の巨人109話 導く者 を読んで想ふ。【ネタバレ注意】

今回は進撃の巨人のテーマのお話。


進撃の巨人という作品に流れるテーマはいろいろあると思います。例えば「差別」であったり、「歴史認識」であったり、「立場の違い」であったり。

進撃の巨人の世界観は、当初はファンタジーとも思えました。ですので、エンディングの予想も、ループ説や夢オチ説などのがっかり予想をする人もいましたね。

ところが、アニが巨人らしいとわかってきた頃、そのアニと対峙するアルミンのセリフ辺りから、作者は現実主義的な思考をする人であり、今後ファンタジー色は薄れていくであろうと推察されました。そして、今回の109話などは、進撃の巨人という作品をカタチ作るのに重要なお話になりましたね。

ファンのみなさんの多くは、激しいアクションシーン、戦闘シーンなどを求めていらっしゃる方が多いでしょうが、進撃の巨人に流れる作風、テーマは今回のようなお話にこそ詰まっていますね。

大人の読者にとっては、ガビやファルコ、そしてカヤの立場の違いなど説明不要かもしれません。ですが、年少の読者も多いことでしょうし、わかりやすい表現がされましたね。

そして何より、作者が本当に読んで欲しいのは、もしかしたら反日感情をもつ韓国人や中国人なのかもしれませんね。しかし、残念というか当然というか、進撃の巨人という作品がどう展開していくかについては、早々に韓国人などにはバレていたようで、「日本の極右漫画」というレッテルがとっくの昔に貼られて嫌われています。ですので、109話におけるガビ、カヤの悲痛な叫びは届きませんでしたね。いかに立場の違いを乗り越えるのが難しいかをこの作品が証明してくれたのかな。(笑)

キヨミは何を望むのか。


今回も登場しましたキヨミ様。ジーク麾下の義勇兵たちが囚われたことも想定内のようです。そうなる可能性は、ジーク一派においても想定内であったはずです。

マーレ編以降のエルディア国の動向は、ジークの書いたシナリオに沿っていました。キヨミもシナリオ上の登場人物であり、彼女と理解しあっていたと思われるヴィリー・タイバーもそのはずです。ヴィリーはシナリオ上の人物、もしくは、シナリオの原作者である可能性が未だ捨てきれません。エルディア国の人間は、たいへん残念ながら演者に過ぎず、しかも大根役者であると思われます。物語を何も理解できずに、ただ舞台で踊らされているだけの大根役者です。現時点では、大根役者ではないエルディア人はエレンだけでしょう。

では、キヨミの狙いは何なのか。それが分かればジークの狙いも理解できるかもしれません。キヨミの望みがジークと同一である可能性があるからです。そして、キヨミの狙いがヴィリー・タイバーから託されたものである可能性はもっと高いと思われます。

地鳴らしのチカラを見定めるために、偵察機のようなモノを持ち込んできました。果たして本心でしょうか。キヨミ様とヒィズル国にとって、地鳴らしのチカラをエルディアと共有することにメリットはなさそうです。悪魔の協力者となるだけ、科学技術力の進歩の末に駆逐されるだけ。それとも、科学技術力の進歩を待たずに、他国と他民族を滅亡に追いやるつもりだとでも言うのでしょうか。わたしはそうは思いません。キヨミもヴィリーも、エルディア人の滅亡も、他民族の滅亡も望んではいないと思います。

漫画作品ですし、最終的には収まりの良い平和を望んでいるんだと思います。地鳴らしを本当に発動しちゃうのは、現代に置き換えると核の使用ですから。漫画作品のメッセージとしては、それを放棄する方向へ進むでしょう。一応、「別冊少年マガジン」ですしね。

イェレナの暗躍とその目的。


109話では、イェレナが暗躍し、それによってエレン・イエーガー原理主義集団とでも言えそうな過激派が育ってきた様子が描写されています。そして、エレンの言動の変化にも影響を与えたのではないかと、ピクシス指令などは疑っているようです。

この件について、わたしなりに思うところがあります。それは、エレンを悪者にしようとしているということです。

エレンを悪者にしようとしているのは誰か。

エレンが悪者であると得をするのは誰か。

エレンを悪者にしようとしているのは、エレン自身だと思います。それにイェレナとの邂逅が影響しているかはわかりません。

しかし、ひとつ自信を持って言えることがあります。サシャが死んだとき、エレンは何故笑ったのか。答えは「嫌われるようにワザと最低な人間を演じた。」

だと思いますよ。つまり、エレンは悪者になるために、嫌われ者になるために、嫌な奴を最後まで演じ続けるつもりなのだと思います。(死ぬまでではなく、最後までです。これがミソだと思います。)

嫌われ、悪者になる理由。それはこの世の全ての悪を自分の責任にして、全世界の嫌われものとなり、駆逐されてあげることで世界に平和をもたらそうとしているということだと思います。

例えばです。エルディアという全世界の敵が存在するがために、マーレが行ってきたエルディア以上の悪行も覆い隠されて、マーレも含めて世界が一致団結できる。

ならば、エレン・イエーガーという全世界共通の敵が存在すれば、エルディア国も含めた全世界が一致団結することも可能なのかもしれません。もちろん、差別意識もあり、エルディア人にとって茨の道であることは間違いありませんが。

エレンが悪者であると得をするのは誰か。この場合エルディア人だと言えるでしょう。全てをエレンのせいにして駆逐する。探偵ものや刑事もののように得をするから犯人って訳じゃないですが。むしろ、何も知らずに踊らされるだけで、最終的にはエレンのおかげで地位が若干向上するのではないでしょうか。

ところで、エレンを駆逐したところで、いわゆる「赤子ガチャ」が起こってしまえば意味がありません。赤子ガチャを防ぐ方法をイェレナがエレンに教えた。そしてエレンが覚悟を決めた。そのシナリオの演出家はジーク。原作者はヴィリー・タイバーなのではないでしょうか。

ジークの知識が、戦士隊長、エルディア復権派の範囲から抜け出ているように思えるからです。そして何より、悪のエレン・イエーガーのために舞台を用意し、己の命と引き換えに全世界の敵として発信した張本人がヴィリー・タイバーであるからです。

シナリオの原作者も、演出家も、主演俳優も、全員が自身の命や名誉と引き換えに苛烈な行動をとっているのです。

何事もほどほどに。


差別意識も、正義感もほどほどに。そうでないとイスラム原理主義の過激派と変わらないですよね。今号のガビの描写は、いずれあるよなと思っていました。それがパラディに渡ってしまい、自由も得てしまい、こうなるのが運命でしたよね。カヤの命の恩人であり憧れの人物を、自分が殺してしまったことに気づく日が来るのでしょうか。いずれにせよ、ライナーの心境を理解できる日は遠くなさそうです。

そしてファルコです。彼がもしもライナーたちの世代であったらと考えると複雑な気持ちになりますね。想像力が豊かすぎて、思いやりがありすぎて、ライナーたちと同行していたら戦力にならなかったのではと考えてしまいます。それはライナーたちも同じだったのかもしれません。だからこそ、苦しかったのでしょう。

そんなライナーは、マーレにおいて即時奇襲を提案しましたが、こちらも本心とは到底思えません。ライナーはガビのような一つの正義や普遍的な歴史を信じる子供ではありません。現在のマーレ人で、最もエルディアの現実を知る人物です。エルディア人が悪魔だなんて思っちゃいません。クリスタ・レンズちゃん命なマーレ人ですから。(笑)

しかし、作者はタチが悪い。(笑)


先述のアニVSアルミンですが。アルミンが言った「良い人って言うのは自分にとって都合の良い人のことを言うのであって、アニが僕の言うことを聞いてくれないなら、僕にとってアニは悪い人ってことになる。」

このセリフで作者のものの捉え方と、進撃の巨人という作品の進む道が見えたような気がします。

「巨人」という人間を喰らう、史上最悪級の敵が登場する漫画。そして、その異様性と残虐さと、籠の中の鳥のような立場に置かれた人類の行く末にワクワクドキドキしたものです。

ところが、アニVSアルミン以降、例え巨人という存在があろうとも、人類にとっての最大かつ真の敵は人類自身という物語。

立場の違いとそれを理解する想像力の欠如、差異を区別し貶める心、自己の正義を信じる心、このような極人間的なことが、人を喰らう巨人よりも恐ろしいという物語。

わたしのような変人は大好きなんですけどね。作者はお若いのにずいぶんとタチが悪いですね。(笑)

こんな人間の本質、人類社会の本質を描けるのは日本だけだと思うんです。なんでもかんでも海外が基準で正しいって思う日本人は凄く多いと思うんですけど、決してそんなことないですよね。そう思うような人たちは、進撃の巨人はお嫌いでしょうけどね。(そんなことないか?笑)