底辺ちゃんねる。

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IOC会長のeスポーツ許容不可発言に想ふ。

殺人ゲームはオリンピックの価値に相反するとの主張。


teihenchannel.hatenablog.com

IOC会長トーマス・バッハ氏が、「殺人ゲームはオリンピックの価値に相反する。そのようなゲームをオリンピック競技として許容することはできない。」そのような発言をされたようです。ごもっともに思えます。例えばPUBGをプレーして、参加者全員で殺し合いをし、最後まで生き残った者が金メダル。ヴァーチャルの世界とはいえ、殺し合いの勝者が金メダルなんて馬鹿げています。また会長は、このようなゲームが「暴力や差別を助長する。」とお考えのようです。それについては個人的には賛成はできません。

人は無意識に文化をも差別している。


猟奇的な事件が起こったりすると、漫画やゲームの影響だと報道されることがあります。漫画やゲームがそのような悪影響を及ぼすと言います。昔から漫画やゲームのようなサブカルチャーについて、このような批判がされてきました。わたしはこれを「文化の差別」と感じます。文化に貴賤をつけて語る輩が今も昔も多いように思います。

漫画やゲームには残酷なシーン、殺人シーンは確かに出てきます。これについての批判を耳にする機会は多いのですが、「七人の侍」の戦闘シーンや殺戮シーンについて同じようなことを語られるのは聞いた覚えがありません。七人の侍だけではありません。多くの映画や、小説などで漫画やゲームと変わらぬ残酷な表現、暴力的な表現が出てきます。漫画やゲームが駄目で、映画や文学がOKな理由は、人は無意識のうちに文化に貴賤を付けているからだと思うのです。無意識に、もしくは意識的に、サブカルチャーは低俗で危険なものであるとのレッテル貼り、差別をしているのだと思います。人に与える影響力が、映画や文学に比べて、漫画やゲームが上回っているなど到底思えません。ですが非合理的なことに、漫画やゲームが与える悪影響だけは伝播性があると考えられているようです。これこそ人の思考が偏向したうえでの蔑視に他ならないと思うのです。会長の「ゲームが暴力や差別を助長する。」という発言そのものが、ゲーム、ゲーマーに対する蔑視であり、差別的であるという考え方もできるのかもしれません。

本当に、暴力的な表現作品が現実世界で暴力の素になるのか。


否定をしたいところです。ですが、残念ながら完全否定はできません。文化作品の影響を受けて暴力的な行動をしてしまう人間が極少数ではあるものの、いるであろうと思われるからです。ですが、彼らは作品のせいでそうなったのではないと思います。元々ちょっと普通ではなく、道を外れやすい人なんだろうと思うのです。例えばサイコ〇スなどと呼ばれる人たちがいます。彼らも全員がそうではないと思うのです。彼らの中でもごく一部の人間に、ちょっとした影響を受けて極端な行為に走ってしまう人がいるのかもしれません。ですが、そういう人はきっかけがなんであれ、結局問題を起こしてしまうのではないかと思うのです。わたしのこの考え方も、すでに蔑視なのかもしれませんが。

ところで、文化作品の悪影響で犯罪を犯すということが一般的だと思われますか。私は思いません。何故ならば、やってみたいと思うことと、実際にやることの間には天と地ほどの差があると考えるからです。

人類は70億人といわれますが、「誰かを殺してやりたいと思うほど恨んだことがありますか?」と問えば、おそらくはYESという方が多数派なのではないでしょうか。では、実行したことがある人はといえば、圧倒的少数派になることは間違いありません。殺してやりたいと思うこと、実際に殺すこと、全く非なるものです。似てすらいません。それはゲームや漫画や映画も同じことです。そのような作品群を見て気分が高揚したとしても、それを現実的に体感してみたいと思う人間は極一部です。しかも、心中に高くそびえたっているはずの「モラル壁」を越えて実現させようとする人間は、その時点で尋常ならざる人物だと言えるでしょう。その判断力のなさと、軽薄さとモラルの壁の低さ。そのような人物は何かの悪影響など受けなくとも、重大な結果を招くのは必然に思えます。

コンクリート詰め殺人事件という凶悪この上ない犯罪がありました。悪影響を受けたという少年犯罪者特有の言い訳、もしくは誘導尋問の結果をあの事件では聞きません。当然です。あんなに凄惨な文化作品など聞いたことがありません。悪影響を受けようがありません。想像力が欠如し、モラルの壁が低ければ、人間はあんなにも残虐な行為を実行に移せるのです。もしもあのような内容の漫画作品があったとしたら犯人たちはこう言い訳をしたでしょう。「漫画の影響を受けてしまったのだと。」もちろん嘘です。想像してみて下さい。女の子が泣きながら「やめて。」と言います。普通は「ごめんなさい。」でそれ以上の行為に及ぶことはできませんよ。悪影響を受けたのではありません。元々想像力が欠如していて、他人の気持ちが考慮できなくて、自然と身勝手になってしまう。悪影響を受けるどころか、社会において悪影響を発揮する側の人間なんです。

話が変わりますが、男性は女性をレイプすることが出来ると思っていませんか。それは想像力が乏しいですよ。もちろん出来る人がいるからそういう事件が起きるのですが、それが出来るのは少数だと思いますよ。わたしなどは合意の上でもちょっとしたことで萎えちゃいます。「やめて。」と泣きわめく女性を襲うなど息子さんが沈黙を決め込むに決まってます。そういう事件を起こす人物というのは、元来そういう資質を持っているんですよね。

わたしはeスポーツの五輪競技化反対です。


ゲームが暴力や差別を助長するというのであれば、そうでないゲームを実施すれば良いでしょう。頭のスポーツといえるかもしれないチェスや将棋、囲碁といったゲームを五輪競技化するのもアリかもしれない。ですが、わたしは個人的には反対です。暴力的云々ではなく、TVゲームはスポーツじゃねえし。(笑)オリンピックの精神って、鍛練した肉体には健全な精神が宿るとかそんなんじゃないんですか。ゲームの腕を鍛えたって健全な精神は宿らんでしょ。どう考えたってむしろ逆に思うわ。

あれ?俺って文化に貴賤をつけてるんか?(笑)