底辺ちゃんねる。

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体操協会のパワハラ問題について想ふ。

パワハラって何なのだろう。


最近やたらとパワハラ問題を報道で目にする。ところが、パワハラって何なのだろう?パワハラの定義と言われると、なかなか返答に困ってしまいます。

1.身体的な攻撃 2.精神的な攻撃 3.人間関係からの切り離し 4.過大な要求 5.過少な要求 6.個の侵害

以上の6箇条が、厚生労働省の定義だそうです。優位な地位からの、これらの行為がパワハラにあたるようです。

しばらく前の話になりますが、私の実体験を記します。

職場にて、新人の教育にあたった際のことです。なぜこのようにしなければいけないのか、身につけさせるために、動機付けをして教えていました。

「このようにすればお客様はこう感じます。だからお客様にこう思っていただくために、こうしなければいけないんだよ。」

これに対するレスポンスに唖然としました。「それは脅しですか。脅迫するんですか。」

私の大して中身のない人生において、最も唖然とした、目が点になるとはこのことかという経験でした。彼から見れば、仕事はこうしなければいけないという教えはパワハラ以外の何物でもなかったようです。もちろん、これは随分と極端な例です。ですが、パワハラを行ったとされる人のほとんどは、私と同じ反応をするでしょう。パワハラをした自覚はないであろうと思うのです。ちなみに、私がパワハラをしたとすれば、その後日談となります。ずいぶん衝撃的に思ったので、何人かに面白おかしく話したのです。これは厚労省の定義に照らすと、2.3.にあたるかも知れません。ですが、動機付け教育がパワハラだとすると、少年野球教室で「ベースカバーに入らないとランナーは走りたい放題だ。だからベースカバーに入らないといけないよ。」これもパワハラになっちゃいますよね。もはやなに一つ人に教えることは叶いませんね。

根本にあるのは、自尊心を満たそうとする人間の本能。


 

人間は、心の栄養素として自尊心を満たそうとします。高い地位につくと、お腹がいっぱいになるまで自尊心で腹を膨らませます。高い地位につかなくとも、自分よりも低い人間を探しては蔑みます。パワハラというのは、高い地位にいる優位性を利用したハラスメントですが、同様のハラスメントは地位の高さを必要とせずとも存在します。相対的に相手が低ければよいのです。決して本当に低い必要はありません。低いと思えれば良いのです。つまり、相手を蔑むことが出来れば、精神的に高い地位に立ち、優位性を発揮でき、哀れみ、貶めることが出来てしまいます。それは、いじめや差別として今までもずっと存在し続けてきました。ハラスメントというのは人間が人間としてこの世に存在していれば、当然のごとく発生する事例だと思うのです。それを現在、否定するようになりました。それは、人類が従来のカタチからの脱皮を図っているように思えます。この脱皮が上手くいけば、「終末時計」の針を戻しても大丈夫だと個人的には思うんです。そうは言ってもそう簡単には進みそうに思えない部分もあります。ハラスメントがあまりにも日常的で、人間的すぎるから。だからこそ、パワハラやセクハラの定義と言われると曖昧さを含んでしまうように思います。

体操協会でのパワハラ問題。


今話題のパワハラ問題といえば、体操協会における宮川選手に対する問題です。最近の記憶に新しい、女子レスリング、日大アメフト部、日大チアリーディング部、ボクシング連盟などと比べてもショックを受けている人も多いかもしれません。宮川選手が、コーチからと体操協会幹部からの二重のパワハラを受けたと告白していること。その体操協会幹部が、塚原光男夫妻であるということ。

塚原光男といえば、体操の金メダリストで技の名前にもなっている人。そしてご子息も同じく体操の金メダリスト。そのような人物がパワハラ問題の渦中にいることは、私にとってもショックです。この塚原さん、パワハラを否定しておられました。これは想像の範囲内の反応といえます。先に申しましたが、パワハラは殆どのケースにおいて、無自覚でやっているだろうと想像されるからです。例えば、先日の至学館大学学長の記者会見などはパワハラそのものでした。パワハラ問題に対する釈明会見で、パワハラ発言を連発していました。当然、無自覚でなければ成し得ない芸当です。パワハラとはかくも無自覚で行われるものです。

体操協会のパワハラ問題が少し異質に感じるのは、宮川選手がコーチから(1.身体的な攻撃)を受けたと認めているにもかかわらず、それを深刻なものと受け止めていない。不快感をさほど持っていないと思われることです。そして、塚原夫妻から受けた尋問を不快に感じ、(2.精神的な攻撃)コーチと別れるよう迫られた。(3.人間関係からの切り離し)また、それを強要されたことによって(6.個の侵害)を感じたのであろうと推察されます。コーチから身体的なパワハラを受けたと認めながらも、告発をしているのは塚原夫妻から受けた尋問の方。いかにハラスメントが受け取り手次第かということも痛感させられる気がします。ところで、塚原夫妻はパワハラ行為をした認識はないと思われます。ただ、協会幹部として、やるべき仕事をしただけだという認識でしょう。何故暴力を奮ったコーチを咎めた我々の方がパワハラ認定されないといけないんだと憤懣やるかたないでしょうね。

宮川選手と塚原夫妻との間になかったもの。コーチとの間にはあったもの。それは長年の付き合いであり、信頼関係でしょう。地位が高いという理由だけで、人の心を思いやらずに強権を揮おうとすると、現代においてはパワハラ認定される恐れがある。信頼関係が強固であれば、直接的な身体的攻撃ですら、パワハラ認定されない場合もあるのでしょう。セクハラと同じく、相手がOKかどうか。空気の読めないおじさん、おばさん、私などには世知辛い世の中になりましたね。

しかし、アスリートといえども18歳の女の子。そんな子が、泣き寝入りするのではなく、体操協会幹部という相手にも恐れることなく、非を訴えることが出来る時代になったことは素晴らしいと感じます。

私などはもっと大きな問題でも、泣き寝入りをするしかないと思って生きてきた人生でしたから。闘わずして、強者に跪いてきた人生でしたから。「それは脅しですか。脅迫するんですか。」こんなことを目上に言える感性が羨ましくもありますよ。