底辺ちゃんねる。

底辺住民の暮らしぶりと思考を晒します。

日本人はエコノミックアニマルなどではない。日本経済の停滞に想ふ。

日本人はエコノミックアニマルなどではない。

かつて、バブル経済華やかなりし頃、日本人はエコノミックアニマルなどと呼ばれていました。そこには畏怖と蔑視と両方の意味があったように思います。では、本当に日本人はエコノミックアニマルだったのでしょうか。20年に渡る停滞を経験した今となっては、自身を持ってNOと言えます。

日本人ほど商売が下手な民族も珍しい。「日本製品は高い信頼性を誇る。」今や世界の共通認識といえます。この素晴らしくポジティブなイメージを、経済活動に生かせているように見えません。

日本製品は高い信頼性を世界中の消費者から認められています。にもかかわらず、一円でも高く売り、一円でも多く利益を得ようとしているようには見えません。高い信頼性=高い付加価値といえるのに、何故に高い付加価値のあるものを高額で売ろうとしないのか。または高額で売る努力を惜しむのか。そして、高い信頼性を誇る商品を製造、販売しながらも、途上国が作ったような廉価製品に苦境に追いやられる。こんな商売下手な民族がエコノミックアニマルとは、ひと昔前の世代のアメリカンジョークのセンスに恐れ入るしかない。

江戸幕府が日本人を商売下手にした。

異論はあるでしょう。江戸の経済システムが、いかに現代的で優れていたかなどと。しかし、私が言いたいのは、そんな話ではなく、もっと根本的な民族の性質のようなことなんです。

江戸幕府は、徳川家を中心とした幕藩体制を堅持するため、諸藩に対して出費を強いました。出費を強いることで諸藩の力を削ぎ、台頭を許しませんでした。そのような状況下で、清貧の思想が出現してきました。清く、正しく、美しく、そして貧しいその思想は、現代日本人の精神性にも深く根を張っています。

上杉鷹山が優秀な為政者とは思えない。

代表的日本人という本があります。内村鑑三によって百二十年以上前に著されたその本は、日本人の性質を世界に広める役目を果たしたようです。五人の代表的な日本人の内の一人として上杉鷹山が登場します。ケネディ大統領が尊敬する人物にあげたことで有名です。

彼は、自らを厳しく律し、倹約を推奨し支出を減らし、藩政を立て直しました。それは立派で尊敬に値する人物であろうと思います。しかし、為政者としては、それでは不十分に思えます。藩政を立て直した後、否、同時に金を天下に回す方策を考えるべきです。倹約を推奨するだけでは経済を委縮させてしまうだけです。経済活動を活発にし、金が動く広い道を作り、金が渋滞せずに藩の隅々まで往来できるようにする。

戦国時代の愚将として、古くから挙げられる一人に武田勝頼がいます。父親から継いだ大国を一代で潰した愚将とされています。彼の晩年を見るに、韮崎の地に経済都市を作ろうとした痕跡があります。道路と水路を使い、金と人が自由に活発に往来できるようなインフラ整備を目指したように思われます。時代は古く遡りますし、凡庸と称される人物の行いではありますが、経済政策としては、勝頼のやろうとしたことの方が優れているように思えるのです。

そして、決して代表的ではない日本人を一人挙げたいと思います。

呂宋助左衛門。

安土桃山時代を代表する商人の一人である彼は貿易で巨大な財産を築き上げました。彼はフィリピン、ルソン島に渡り、様々な珍品を仕入れ、日本で販売しました。そのうちの一つが有名なルソンの壺です。このルソンの壺を高額で販売することで、巨額の財を成したと言われています。この壺はルソン島から持ってきた、日本人には馴染みのないものであり、その価値はありませんでした。価値は決まっていませんでした。だから、助左衛門が独断で価値、価格を決めることが出来たのです。とはいえ、値付けは売り手が勝手にすれば良いのですが、買い手が価格に相応しい価値を見出せなければ売れるはずもありません。ですので、助左衛門は壺を高額で売るための付加価値づくり、広告宣伝、販売促進活動に勤しんだはずなんです。価値の定まっていない商品の、価値を高める活動に成功したからこそ、高額で飛ぶように売れる状態を作れたんです。ちなみに、ルソンの壺は現地では決して高級品ではなかったそうです。

現地では、便器として使われる生活用品だった。

と言われています。安価で仕入れた商品を、異文化圏で高額で販売する。モノの価値を決めるのは、本来個人の価値観です。社会でいかに持て囃される商品であろうとも、魅力を感じなければ買わなければいい。それだけです。そして、価値観の違う異国に、高い価値をつけて商品を売り込む。貿易の基本であろうと思います。呂宋助左衛門が現代日本において尊敬されるでしょうか。二束三文でルソンで買った壺を、日本で高額で売る。ルソンで便器として使用される生活用品を高級なお宝であるかのように宣伝する。現代人の評価は、

ボッタくり、詐欺師、ゴリ押し商法。

こんなところではないでしょうか。しかし私は思うのです。現代日本人に助左衛門の爪の垢を煎じて飲ませてもらえれば、助左衛門の商才のほんの一部でも現代日本人が受け継いでいたら、多くの日本企業の苦境はなかったのではないかと。助左衛門は価値のないものを高値で売り、成功しました。日本企業が売ろうとしているものは、決して無価値などではありません。日本製は信頼がおける。販促活動などしなくとも、既に高い評価を得ている品物たちです。よほど商売下手でない限り、高い評価に見合う高い価格で売れるはずです。

日本製品は、評価に見合う価格で売れていますかね。

東京一極集中は悪手だった。

江戸幕府が日本人を商売下手にしたのであれば、豊臣政権が続いていれば商売上手だったのか。答えはYESであろうと思います。ダイナミックに経済を運用する民族になっていただろうと思います。経済だけではありません。もしも、豊臣時代が明治まで続いていたならば、日本のカタチは現在とは大きく違っていたと思います。どうなっていただろうと妄想の翼を広げてみると、どうも今現在の日本の方が居心地が良さそうです。では、豊臣時代ではなく、どこまで時計の針を遡れば良いのか。私が思うに、東京の一極集中を防ぐだけで良いのではないかと思うんです。

ネットなどでは大阪民国などと揶揄され、忌み嫌われる大阪ですが、かつては日本最大の商業都市であり、あらゆる分野、業種が大阪で起こり育まれました。大阪で産業が生まれ、その産業に携わる複数の企業が生まれ、そしてその業界団体が生まれる。業界全体が大阪を拠点として育まれる。多くの産業がこうでした。しかし、国策として、東京一極集中が実行されます。会社としては、東京移転にリスクを感じるのも当然のことでした。東京移転を渋る会社を移転させるためにも、業界団体の東京移転が行われました。これにより、業界全体での東京移転が数多く行われたのです。今思えば、東京一極集中は悪手だったと考えます。

何故、多くの産業が大阪で生まれたのか。それは偶然ではなく、必然であり、大阪人の気質が生んだのだということです。そして、業界全体を東京に移転することは、器だけを東京に移したということです。後々の運営は東京人が行うということになります。これでは上手くいきません。

何故、大阪で多くの産業が生まれ、商都と呼ばれたのか。

「おっちゃんこれマケてや。マケてくれへんのかいや。ケチ!」

こんなにも厚かましく、浅ましい気質を持っているからですよ。東京の人たちはこのセリフを口にできますか? 恥ずかしくて口にできないでしょう。呂宋助左衛門のマネができますか?ボッタくりだの批判しているようじゃダメですよ。

東京一極集中など行うべきではなかった。商売のような浅ましい行為は、大阪人に任せておけばよかった。多くの業種の生みの親である大阪人に、そのまま育ての親をやらせるだけでよかった。日本人がエコノミックアニマルなんてのはチャンチャラおかしい。大阪人を指して言うなら、また別ではあるが。