渋沢栄一さんのことをちょっとだけ想ふ。
名前くらいは知ってはいたけれど。
1万円札の顔となることが決まった渋沢栄一さん。名前くらいは知ってはいました。
大実業家で鉄道を敷きまくって…程度は。
恥ずかしながら、「論語と算盤」っていう有名な話があるみたいですね。
渋沢さんの持論というか。ビジネスには道徳観が大事ですよって事なんでしょうか。
全く同意なんですけど、現代日本では逆の観念が支配しているような気がしますよね。
「後ろ暗い気はするけど、仕事だから仕方がない。」
これじゃあだめですよってことでしょうか。
ビジネスだからこそ、社会に大きく寄与し影響も及ぼすからこそ、道を外れてはいけませんよって事なんでしょうか。
昨今、オレオレ詐欺から始まり、特殊詐欺が全盛です。
どうやら海外に拠点を構えるほどの周到さなようで。
彼らも仕事と言えば仕事、労働と言えば労働をしているのでしょう。
しかし、大きく道を外れており、法も逸脱している。犯罪行為に他なりません。
今話題のゴーン氏だって。道も法も外れなければ、堂々と10億円の高給と名声を手にしていたのに。
社会が発展するほどに、求められる道徳感も高くなるのかもしれません。
人類は発展に比例するモラルを得ていかなければ滅亡する。
渋沢栄一さんに共感するのには理由があります。
実は私、人類はそう遠くない将来に自滅するだろうと考えています。(社会の底辺の主観に過ぎません。)
文明が発展すれば、それに比例し相応しいモラルも得ていかなければいけないと考えてきました。
弓矢を持つには相応しいモラルを、銃を手にするには相応しいモラルを、核技術には相応しい高度なモラルが必要と思うのです。
人類は発展とともに、必要とされるモラルが大きくなってきました。
今後も人類が存続するのに必要なモラルは大きくなっていくと考えます。
では、我々の道徳観は向上しているでしょうか。
むかしの人は偉かった。
むかしの人は偉かったとよく言います。
むかしの人は偉く見える…ではなく、本当に偉かったのだと思います。何故か。
武田信玄だって、源頼朝だって、我々以上に勉学に励んでいたと思います。
日本人の識字率は驚くほど高かったと言われており、 本もたくさん読まれていたようです。
現代人は様々な学問を学びます。文明の発展、技術力の向上に繋がっています。
むかしの学問は現代に比して、悪く言えば哲学に偏っていたと思います。逆に言えば、哲学以外の学問は殆どなかったでしょう。
それがむかしの人が偉く見える最大の要因だと思うのです。
どのように生き、どう死するべきか。孔子や孟子を読みながらそんなことばかり考える。
むかしの人の生死が美しく潔く鮮やかに見えるのは、だからこそだと考えます。
むかしの人に道徳観で負けるわけにはいきません。
彼らは、弓矢や銃を管理する道徳観があれば良かったのかもしれませんが、我々は核技術を管理する道徳観を必要とされています。
今後も技術の発展に伴って、求められる道徳感も比例して大きくなっていくことでしょう。
江戸時代に生まれた人が、「銭儲けには高い道徳感が必要だ。」と言っています。
より高い道徳観が必要とされるはずの現代人に、このような倫理観が備わっているでしょうか。
核兵器なんぞは、いずれ時代遅れの骨董品となります。
核をはるかに超える技術を手にしたとき、それを管理するに相応しいモラルを手にしていなければ、人類の滅亡は免れないでしょう。
宇宙にも害悪となるかもしれません。
「論語と算盤」とりあえず、我々にも出来る意識を持つことが大事でしょう。
競争は発展を生み出すと同時に、道徳の退廃ももたらしてしまいますね。
この世に永遠などないとすれば、人類の滅亡は必然です。ですが、少しでも長く存在したいと願うのは、生命として当然のエゴだと思います。