底辺ちゃんねる。

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高校野球の春夏連覇に想ふ。

大いに盛り上がった100回記念大会。

100回記念大会にふさわしく、大いに盛り上がった今年の夏の甲子園。終わって二日になるが、いまだにメディアは甲子園だらけ。しかも、東北勢として、初優勝を目指した金足農の健闘を称え、地元のフィーバーぶりに対する報道一色だ。私も、大阪府民でありながら、金足農を応援した身の上なのですが、金農フィーバーで印象が薄くなってしまった感のある、大阪桐蔭の二度目の春夏連覇という快挙について考えてみたいと思います。

史上八回目の快挙。

夏の大会は今年が100回目でした。春の選抜は?というと90回目だったのです。ちょうど10大会分のズレがあります。ですので、春夏連覇が出来るチャンスは、過去に90回あったということです。そして、今年の大阪桐蔭が成し遂げた、春夏連覇が8回目。平均すると11年に一度の快挙であると言えるでしょう。

野球の勝率は本来5割。

野球というスポーツは、どちらかが勝利し、もう一方は敗北するのが基本です。同等の力量のチームがぶつかれば勝率は5割ということになります。プロ野球では、優勝チームの勝率が6割台、最下位チームの勝率が4割台となることが多いです。優勝チームと最下位のチームでは、大きな力の差があるように思います。それでも、その差はせいぜい6対4くらいしかなかったりするのです。

高校野球の場合、今年の参加チーム数は3781チーム。トーナメント戦を行い、敗北なしのチームを作ります。つまり、3780試合のトーナメント戦によって、唯一負けなかった大阪桐蔭が勝者となった訳です。

野球の勝率は本来5割。高校野球において、平均的戦力のチームが優勝できる確率は、3781分の1ということになります。春の選抜において、一度だけ3781分の1の宝くじを掴むことは不可能ではないかもしれません。ところが、春、夏と、二度も続けて宝くじに当たることは不可能でしょう。甲子園で優勝するチームというのは、本来3781分の1であるはずの優勝確立を、10%、20%と上げることが出来るチーム。そして、春夏連覇を達成出来るというのは、その確率を更に50%、もしくはそれ以上に引き上げることが出来るチームにしか、成し得ない偉業なのではないでしょうか。

春夏連覇というのは、勝つべきチーム力を備えた頭抜けたチームが、勝つべくして勝った。

そういうことなんだろうと思います。

過去の七校を見てみる。

初めての春夏連覇は、意外にも遅いです。1962年の作新学院まで待たねばなりません。先ほど申した通り、11年に一度の確率で春夏連覇が達成されています。にもかかわらず、春34回、夏44回の1962年まで、34年間に渡って春夏連覇は達成されませんでした。高校野球創成期から、この時代にかけては参加校も少ない時期があったはずで、優勝できる確率は高かったはずなのにです。これについて思うには、野球に力を入れる私学の強豪校が少なく、戦力が比較的に均一化しており、春夏連覇を実現するほどの圧倒的なチームがいなかった。ということではないかと考えます。史上初の春夏連覇校が、作新学院という私立校であることも象徴的かもしれません。その作新学院を含む、連覇達成校は、

1962年 作新学院   1966年 中京商

1979年 箕島     1987年 PL学園

1998年 横浜     2010年 興南

2012年 大阪桐蔭

そして、今年の大阪桐蔭となります。前回の達成から、わずか6年後に同一校が成し遂げたことで、大阪桐蔭が頭抜けた力を持っている印象が際立ちます。今後、全国の強豪校は打倒大阪桐蔭を目指して切磋琢磨していくのだろうと思います。それが、全体のレベルの底上げに繋がれば素晴らしいことだと思います。

連覇校の顔ぶれを見てみると、沖縄の興南高校の快挙が目をひきます。沖縄勢は、なかなか勝てない時代もあったようですが、今や昔。1999年、春の沖縄尚学の全国制覇から、11年後の春夏連覇

立浪、片岡、野村、橋本のPL学園や、松坂の横浜など、スターぞろいの常勝軍団も目をひきます。

そんな中、異彩を放っている学校があります。春夏連覇達成校中、唯一の公立校、箕島高校です。和歌山の田舎町の、ごく普通の公立高校の野球部。春夏連覇を達成できるだけの戦力があったのでしょうか。偉業を成し遂げられるだけの要因を持っていたのでしょうか。

公立唯一の連覇達成校、箕島高校を想ふ。

今から11年前の、89回大会。佐賀県代表の公立高校、佐賀北高校が旋風を巻き起こして優勝したことを覚えていらっしゃる野球ファンも多いことだろうと思います。想定外の活躍だったからこそのフィーバーだったと思います。では、1979年の夏の箕島高校はどうだったのでしょうか。想定外の活躍などということはありえません。春の優勝校なのですから、他チームもマークするでしょうし、本人たちも優勝を意識して練習に試合にと励んだはずです。そのうえで春夏連覇を達成しているわけですから、やはり勝つべくして勝った、それだけ頭抜けた力を持っていたということになると思います。

1979年、箕島高校の甲子園全成績。

春の選抜

2回戦 VS下関商 10‐4  準々決勝 VS倉吉北 5‐1

準決勝 VSPL学園 4‐3(延長10回)  決勝 VS浪商 8‐7

夏の選手権

2回戦 VS札幌商 7‐3  3回戦 VS星稜 4‐3(延長18回)  準々決勝 VS城西 4‐1

準決勝 VS横浜商 3‐2  決勝 VS池田 4‐3

 

春、夏ともに、2回戦からという幸運がありますね。春夏あわせて9試合。そのうち5試合が1点差であることが目を引きます。春夏ともに、準決、決勝は全部1点差。そして、延長戦が2試合あることも目立ちます。そのうちの1試合は、名勝負として名高い、延長18回の星稜戦。薄氷の勝利を重ねたことがわかります。

では、箕島高校は頭抜けた力を持っていなかったのか。宝くじに当たったかのような、運で偉業を成し遂げたのか。

私はそうは思いません。運もあったとは思います。しかし、勝つべくして勝ったのだと思います。

まずは延長戦です。延長戦での勝率は、普通は5割です。しかも、1点リードしてイニングを終えれば勝利となりますので、実力差がある場合にも番狂わせを起こしやすい状況が延長戦といえるでしょう。

ところがです。みなさんは箕島高校の甲子園での延長戦の勝率をご存知でしょうか。実は、箕島高校は、甲子園で6度も延長戦を戦っているんです。そして、その勝率はなんと…驚異の10割。全勝なんです。

つまり、箕島高校が延長戦で勝利することは、いたって普通のことなんです。

おかしいですよね。例えばです。現在、圧倒的に強い大阪桐蔭だって、延長戦に持ち込まれれば、五分と五分のはずなんです。大阪桐蔭を応援しながら試合を見ていて、延長戦になったら、「これは駄目かもしれない。」と不安になるはずです。箕島に桐蔭のような分厚い戦力があるとは思えませんが、延長戦は箕島の本領を発揮できる領分といえたのではないでしょうか。

科学的根拠?ないと思っていました。粘り強さという根性論で片付く話だと思っていました。どうやらそうではないらしいという話を昨今チラホラと耳にします。

例えばです。かつてはスポーツの世界において、水を飲んではいけないとされていたことは有名な話です。ところが、箕島高校は、40年近く前であるにもかかわらず、自家製のスポーツドリンクのようなものをベンチで飲んでいたというのです。中身は、レモン水にはちみつを合わせたものだったようです。

そして、あの延長18回。星稜の選手たちは、のどの渇きだけでなく、長時間の試合で空腹を感じていたのを覚えているそうです。その頃、箕島の選手たちは、あろうことかあの甲子園のベンチで、板チョコをかじっていたというのです。根性論で支配された時代に、甲子園のベンチでチョコレートとはちみつレモン水。アンビリーバボーです。高野連に見つかったら大変だったかもしれません。箕島の僅差の試合での粘り強さが、すべてそのせいだとは言いません。ですが、勝負を分ける後半戦、そして延長戦で精神的に余裕をもって挑める状況はあったかもしれません。この合理的で現代的な考え方を、私学ではなく、田舎の公立高校がしていたこと。そして、いかにも前時代的な根性野球のイメージがある尾藤監督が行っていたということ。とても意外で面白いです。

最後に。

サッカーにおいて、例えば、先のベルギー戦で日本は大善戦しました。それをもって「日本はベルギーに匹敵する実力をもち、W杯でも成績は実質4位。」なんていうのは冗談だけにしておきましょう。

内容的には僅差であっても、勝ち切るチームと敗退するチームの間には、雲泥の差があることが多いです。

箕島高校に一点差で敗退したチームに春夏連覇の偉業が可能だったか。

大阪桐蔭に一点差で負けたチームに同じことが可能だったか。

KKコンビ時代のPL学園にだって成し得なかった偉業です。それができた大阪桐蔭はもちろん、箕島だって尋常ではない強さを誇り、そして勝つべくして勝ったわけです。

高いレベルで勝ち続ける。大変なことです。

パッキャオだって百戦百勝とはいかないんですから。