2018年の終わりに想ふ。
ハラスメント問題が噴出した一年でしたよね。
早いもので今年も大晦日になってしまい、2018年の終わりを迎えました。
歳を取ると一年一年、時間の経過が早く感じてしまう気がして寂しくもあります。
今年一年を振り返ってみると、ハラスメント問題が噴出した年だったように思います。
日本漢字能力検定協会による、今年を表す漢字は「災」の字に決まったそうです。
ハラスメント問題続出、天災も続いた災厄の年だったということでしょう。
天災については、残念な出来事であり災難であったと思いますが、ハラスメントの問題については災難であったとは考えません。
むしろ「禍を転じて福と為す」福に転じる出来事であったように思います。
もちろん、ハラスメント被害者の皆様には同情の念は禁じえませんが。
2018年にハラスメント事件が続出したという考え方は正しくない。
今年に入ってハラスメント事件が続出した。ハラスメントな災難が噴出したという考え方は正しくないでしょう。
誰もがご存知の通り、今年問題になったような事件は、今まで日常的に身の回りで起こり続けてきたことです。
今までは当たり前のこととして問題視されなかったことが問題になる時代がきた。素晴らしいことじゃありませんか。
ですので、この件に関しては「災」ではなく、むしろ「福」だと思うのです。
ところが何事にも大事なことはバランス感覚だと思うのです。
バランス感覚を失ってしまうと、良かれと思ったことも災厄に変わってしまうかもしれない。
その典型例がセリーナ・ウィリアムズ選手が提起した全米オープンでの主審による性差別問題でしょう。
セリーナ選手は主審の裁定を性差別的であると訴えましたが、それこそバランス感覚が欠如した問題意識が引き起こした新たな災難といえるかもしれません。
権利意識の高まりによって旧態依然としてきたハラスメントが問題視されることは結構なことですが、高すぎる問題意識は別の問題を引き起こすのかもしれません。
セリーナ選手は、積極的に人権問題に関わる日常を送っていたようですので、余計に過剰な反応による問題を起こしてしまったのかもしれません。
権利意識などは高すぎると、むしろ自分たちの首を絞めてしまい、社会を息苦しいものにしてしまいかねません。
セリーナ選手でなくとも、この辺のバランスの匙加減は難しいものでしょうね。
イスラムの原理主義者のような頑なさではなく、柔らかい考え方で権利問題にあたるのが良いと思います。
セリーナ選手も含め、権利意識の高い人というのは、それが過剰な印象の人が多いように感じますので。
一番大事なのはバランス。原理主義的になってしまい社会の首を絞めてしまっては元も子もない。
個人的にはそう思った一年間でした。
それでは皆様、良いお年をお迎えください。