底辺ちゃんねる。

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U-18野球W杯での日本チームの惨敗に想ふ。

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残念ながら決勝進出を逃し、5位が確定しました。

日本は世界屈指の野球大国です。高校生という少年世代の野球がTVで生中継され、高い視聴率を誇り、職場でも高校野球談議に花が咲く。そんな国は世界広しと言えども日本だけでしょう。

故に、今回のU-18ワールドカップへの興味も高く大きな期待もされましたが、結果は5位と野球大国としては惨敗と言える残念な結果となってしまいました。

望んだ結果は得られなかったかもしれませんが、敢闘をした選手のみなさんと、彼らを支えた関係者のみなさんにお疲れ様と言いたいです。

ネット上では、選手選考や、監督、コーチの人選、また、ベンチでの采配や各選手のプレーに対する批判が渦巻いています。

ですが、監督や選手の責任を問えば、今後の好成績に繋がると考えているのであれば、それは思考停止であると思います。問題の本質はそんなところにはありません。

U18W杯は、前身であるAAA世界野球選手権大会も含めて今回が29回目の開催となります。

歴代優勝回数は、キューバが11回、米国が9回、韓国が5回、台湾が2回、カナダが1回。

なんと、世界で最もこの年代の野球人口が多いであろう日本は一度も優勝を経験していないのです。

29回もの歴史の中で、日本の最高成績は4回の準優勝。そして、たった1回だけの3位。

ネット上では、監督の選手選考や采配の責任を問う声が大きいのですが、過去の成績を考慮すれば、5位という結果は順当な成績といえるのかもしれません。

それを監督や選手の責任にしてしまえば、本来、日本野球界が抱えている問題が隠されてしまいます。

日本野球の強化と繁栄を求めるならば、目を背けてはいけない問題がそこにはあると思うのです。

日本の特殊な環境と、それに対応したガラパゴスな指導。そして日本の国民性。

そもそも、日本の野球人気は学生野球人気に端を発しました。学生野球は人気があるが、職業野球人は軽蔑されたくらいでした。そこには、青春時代の純朴さを尊いものとし、遊びを職業とする者への蔑視がありました。

今現在においても、純朴さを尊ぶ高校野球が大人気です。そして、この高校野球人気こそが、世界一の野球大国日本を支えています。

しかしながら、この年代での高校野球と甲子園大会の価値が大きすぎる故に、勝利至上主義が蔓延し、選手たちの未来を見据えた指導、育成よりも、目の前の結果を求める指導と采配が重んじられることとなってしまいました。

また、ファンである我々も、成長過程の少年世代でしかない高校生に、頭脳的なチームプレーや堅い守備などの緻密さを求めます。

その結果が、国際大会における日本代表打線の貧打というカタチになって表れていると考えています。

他国はもっと野球という競技を単純に考えていると思うのです。思い切りボールを投げ、思い切り打つ。

成長過程の少年世代にはそれで良いと思うのですが、日本という学生野球の価値が高すぎる国、野球ファンが緻密さを求める国ではそうもいかないようです。

日本の打者のスイングは世界的に見て特殊だ。

かつて、イチロー選手が米国に渡った際、MLBの選手たちやファンはそのバッティングフォームの特殊さに目を奪われたそうです。

日本人から見るとそんなに特殊には見えませんが、米国人から見て珍しく見えるのは、フォロースルー時の体重のかかりかただったようです。

イチロー選手は、打った後に投手よりの右足に体重がかかることが多い。そして、前足にかかった体重を活かして、そのまま一塁に向けて走り出す。

日本ではごくありふれたことですが、米国では非常に珍しかったようです。

米国では力強い打球を打つことを心がけます。より遠くまで飛ばそうとします。

そのため、レベルスイング、もしくはアッパースイングとなり、体重は投手よりの足ではなく、捕手よりの足にかかります。

投手に向けて前足を伸ばし、上半身はその後ろで後方に反り気味になります。

対するイチロー選手は、前足よりも上半身が前に出るような形になることも少なくありません。いわゆる、泳ぐような形です。

これはイチロー選手だけでなく、日本人選手全体に見られる傾向です。

もちろん、外国人選手だって緩いボールにタイミングをずらされて泳ぎ気味になることはありますが、日本人選手とは泳ぐ頻度が違うように思います。

その理由は、多くの日本人選手がダウンスイングの意識と、フォロースルーの際に前足に体重を移動する意識を持っているからでしょう。

何故に日本ではダウンスイングを良しとしてきたのか。

 日本の高校野球は国民的行事のひとつといえる規模と人気を誇ります。甲子園という夢舞台を目指す戦いと、その大舞台で繰り広げられる日本一を目指す戦いはトーナメント方式で行われます。

この儚くも残酷なトーナメント方式こそが、日本を野球大国たらしめる高校野球人気を支えていると言えますが、だからこその弊害もあるのではないでしょうか。

そのひとつとして、高校野球における一勝の価値が大きすぎるということです。

トーナメント方式による一生の価値が大きいからこそ、勝利至上主義が蔓延ってしまいます。勝利を強く求めること自体が悪い事だとは考えません。選手たちだって甲子園に出場すること、勝利することは大きな夢です。ただ、その結果として、未来に繋がる指導、育成よりも、目先の勝利を勝ち取るための指導と采配を振るってしまう傾向があります。

その結果として、「フライを打つな。転がせ。転がせば何かが起きる。」といった指導が古くから行われてきました。

日本でも米国でも、現在のプロ野球には4割バッターは実在しません。

ですが、高校野球では4割を超えるバッターは数え切れません。これは、高校レベルでは守備範囲が狭いことと、プロならばエラーと記録される場合もヒットとされることが多いからです。ゴロを打てばヒットになる確率も高くなるうえに、守備も稚拙なのでエラーも期待できます。

だからこそ、結果を得るためには転がした方が良いと指導がされてきました。その結果として、日本ではダウンスイングが良しとされ、体重を前足に移動させて上からたたく意識を持ってバッティングをするような指導がされてきました。

今回のような国際大会を見れば、MLBNPBの外国人選手を見れば一目瞭然ですが、そのようなスイングを推奨する国は日本だけです。

負ければ終わりの国民的行事が一勝の価値を高めすぎてガラパゴスな野球環境をつくってしまい、そこで勝ち上がるためのガラパゴスな野球理論と指導を行ってきました。

その結果が、世界屈指の野球大国にふさわしくない国際大会での成績に繋がっていると考えます。

韓国高校野球事情を知りませんが妄想してみます。

私は韓国の高校野球事情を知りません。ですが、知りうる材料でもって日本との違いを妄想してみます。

韓国は日本をはるかに超える学歴社会だと聞きます。そんな韓国で野球部のある高校は53校だそうです。全国大会は1年に7回? 地区大会が無いから全国大会が多いのでしょう。 韓国の高校野球 - Wikipedia

 超学歴社会において、高校生になっても野球をしているのは選ばれたエリートだけだと思われます。野球部のある53校すべてが日本の甲子園常連校と同じくらいのレベルにあるのではないでしょうか。そして、全国大会も53校すべて参加して行われる。(大統領杯だけが地方予選があるようですが。)

日本では甲子園への過程において、レベルが大きく劣る高校との試合もあります。まさに、転がしておけば何かが起きる相手です。

ところが、韓国にはそのようなレベルの野球部は無いと思われます。53校すべてが全国レベルであれば、「転がせ!」という指導にはならないのかもしれません。

プロでも、高校代表でも、迫力のあるスイングで投手に圧をかけてくるという点では、韓国は日本を上回っているように思います。

韓国野球に倣えなどと言うつもりはありません。ですが、思い切りのよいスイングは見ていて気持ちが良いものです。

私が少年時代などは、思い切りバットを振るとよく怒られました。

「当てろ。転がせ。フライを打つな。三振するな。」少年時代に耳にタコができるほど聞いた日本野球界に伝わる呪文です。

このような呪文は韓国にはないのではないでしょうか。

令和時代に変革を期待したい。

高校生の野球がTVで生中継され注目を浴びる。そんな国は日本だけです。

韓国と違って、各自がそれぞれのスタンスで野球に向き合える。甲子園に出るだけが高校野球ではないし、プロ野球選手になることだけが意味をもつ訳でもない。

社会人になっても、早朝から野球を楽しめる環境もある。

やはり、日本は世界屈指の野球大国であり、日本の野球を取り巻く環境は素晴らしい。

だからこそ、今大会のような国際試合の結果は残念です。

平成の最後には、日本のスポーツ環境を取り巻くパワハラなどのスキャンダルが噴出しました。

これからの令和の時代には、新しい時代の幕開けにふさわしい変革を期待したいものです。

記憶にも新しい今年の夏の甲子園

準優勝した星稜高校智辯和歌山の戦いぶりに令和の風を感じました。

ネット上では智辯和歌山中谷監督の無策をなじる声が溢れていましたが、私は逆に素晴らしいと思いました。

昭和であれば、江川卓攻略よろしく、球数を投げさせてバントをしたりと、奥川潰しをしたことでしょう。ネット上でもそのような策を望む声が多かったです。

しかし、時代はいまや令和です。

プロの捕手出身である中谷監督が、旧態依然とした悪い意味で高校野球らしい策を採らなかったことに感心しました。

令和時代の高校野球指導者に求められるものは、目先の勝利を望む采配よりも、選手の可能性を高めるような指導であって欲しい欲しいです。

そのような意味でも、今大会における永田監督の責任を追及することはナンセンスだと感じます。

もちろん、結果責任は監督にあることでしょうが、それ以上を望む意味はないうえに、監督の采配や選手選考などに責任を求めてしまうと、国際大会で結果が出ない本当の問題点を見失ってしまいそうです。

日本の野球指導者も、野球ファンも、気づくべきだと思うのです。

我々が受け継いできた野球の常識はガラパゴス化していることを。

世界中で日本人だけが叩く意識をもって、前のめりになってダウンスイングをし、木製バットでボテボテのゴロを転がしている。痛烈なライナーだと思った打球がお辞儀をして平凡な内野ライナーになる。

MLB関係者から、もっとも高い評価を受ける日本人野手は柳田悠岐選手だと聞きます。

もしも柳田選手が学生だったなら、あのバッティングフォームを認めてくれる指導者はどれほどいるのだろうかと考えてしまいます。