なぜ高校野球だけ開催?という声に想ふ。
有名人からも聞こえてくる高校野球だけ不公平という意見に思うこと。
はてなブログって、一カ月以上更新しないと「ブログ書こうよ」ってメールが来るんですね。
ああ、もう一カ月も放置してたっけ…と思いつつ、何かネタでもないかなと思っていたところ、目に飛び込んできたネットニュースがコレ。
和田〇キ子さんがラジオにて、「他の高校スポーツ大会は軒並み中止であるのに、高校野球だけ中止しないのは不公平」というようなの内容のハガキを取り上げてお話をされたようで。
和田さんに限らず、有名無名を問わず、TVやネットで同じような声はちらほら聞こえてきます。
個人的には違和感を覚えますので、あくまでも私個人の思うことをちょっとだけ書いてみたいと思います。
公平、不公平ってなんぞや。
高校スポーツの大会が軒並み中止、その中で野球は無観客で大会を行う方向で準備を進めている。
これを政府や文科省が一括して決定をしたというのであれば、不公平という考え方もできるのかもしれません。
ですが、決定を行っているのは各スポーツの連盟であり、独自に判断していることです。
判断が分かれたからといって不公平であると決めつけるのはどうなんでしょう。
例えばです。ファミレスチェーンのすかいらーくグループやその他チェーンが、コロナウイルス対策として当面の休業を発表したとします。
それに対し、デニーズは通常営業をしたとして、それは不公平とかそういう問題なのでしょうか。
単に個々の企業の経営判断が分かれたというだけではないでしょうか。
また、どちらが正しく、どちらかが間違っているのかということも、後々の結果論でしか語れないだろうと思います。
「ウィルスが蔓延る緊急事態なんだから自粛するのが望ましい。」
そうかもしれません。ですが、だからといって全てを取りやめてしまえば社会が壊死してしまいます。
ウィルスの蔓延を防ぐため、すべての社会活動を停止し、国民全員が家に引きこもる判断をしたとします。
この場合、誰が食料を供給してくれるのでしょうか。
全国民に食料を供給するため、それに携わる人々は引きこもるわけにはいかない。
ウィルスが蔓延る緊急事態で医師が引きこもるわけにもいかない。
そのように現実的な対応をとり、個別に判断をすることを公平、不公平といった概念で捉えるのは、個人的には違和感があります。
根っこにあるのは劣等感なのかもしれない。
そもそも、「高校野球だけ不公平だ。」という声は以前からよく聞かれます。
「高校野球にお客さんがいっぱい入って、全試合TVで生中継されるのは不公平だ。」
よく聞きますよね。
根っこには、野球部員ではない人たちの劣等感があるのかもしれません。
また、多くの戦後日本人が持つ、横並びの平等意識と理想主義もあるのでしょう。
ですが、現実的には歴史と伝統があるスポーツと、それがない新興スポーツがあって当たり前です。
歴史と伝統があるスポーツと、そうでないスポーツの人気や扱いが同じ方が不公平だという考え方もできるのではないでしょうか。
人気があって競技人口も多いスポーツと、そうでないスポーツを同じように扱う方が不公平なのかもしれません。
未来ある若者たちには、自分の存在する環境の中での現実を受け入れて邁進して欲しいと願います。
日本社会が委縮してしまわないように願う。
日本って昔からこんな国だっただろうか。
ちょっと何かをやらかせば厳罰を望んで社会の底辺に追い落とそうとする。
スポーツ大会が軒並み中止なら、下に倣えとばかりに中止を望む。
不公平?なにを言ってるんですか。中止にすべき正当な理由は、健康と安全を守るためのみです。
不公平というようなネガティブな「感情」でもって、高校生たちの日々の努力の賜物を無に帰せというのであれば、「オレは動くよ!」(笑)
日本がポジティブに前進を続けるような社会であって欲しいけど、国民の多くは逆を望んでいるように思える。
日々、日本社会からダイナミックさが奪われていき、日本が地盤沈下を続けているように思える。
たかだか、高校野球の話題でこんなことをのたまっている変人は私だけだろうな。(笑)